あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
年始に、実家にほど近い岡崎城内にある、龍城神社に初詣に行ってまいりました。
岡崎城は、徳川家康生誕の地です。
その初詣の帰り道に、子どもに聞かれました。
「織田信長や豊臣秀吉と、天下をとった徳川家康とはどう違うの?」
すぐには答えがでず、しばらく考えていました。
答えに行き当たったのは、以前、実家から持ち帰った、岡崎市が編纂した小冊子を読んだときでした。
家康は、旗印に「厭離穢土、欣求浄土」を掲げていました。
この言葉は、今川方について戦った桶狭間の戦いの後、菩提寺である大樹寺の住職が
「天下を取って、平和な世を作るのがあなたの役目だよ」と言って授けてくれたものです。
今川方から独立した家康は、これを生涯、自分の理念としました。
そして、家康の6代前の先祖である松平信光が、岡崎にある円福寺に納めた願文の中にも同じように、「人を治める立場として、上は天皇を安んじ奉り、下は国家を治め万民を安んじることを願う」と書かれているそうです。
松平信光が生きた時代は応仁の乱の頃。当時の武将が神社や寺におさめる願文は、「戦勝祈願」が普通です。
そんな時代にあって、小さな地方のいち領主にすぎなかった信光が
「国民のすべての繁栄を願う」という願文をおさめているのは、特異なことです。
そして信光の次代の松平親忠が、信光の思想を引き継ぎ、「厭離穢土、欣求浄土」の旗印を最初に掲げたのだそうです。
つまり、家康の理念は、先祖代々の思いが詰まったものだったのだといえます。
この崇高な理念が、岡崎城とそのわずか周辺の領主にしかすぎなかった家康が、のちに世界史上まれにみる、260年もの長い間、争いのない平和な時代となった江戸時代の礎を築くなったのだといえます。
信長や秀吉になくて、家康にあったもの、それは、この平和を希求する「理念」ではないかと私は気づきました。
よく会社も理念が大切と言われますが、その理念も会社の規模に限らず、自分と会社の存在が、どんなふうに恒久的に世の中の役に立つものなのか、そしてそれが普遍的であればあるほど、会社は長く続くのではないかと思いました。
あなた自身の使命はなんですか?
あなたの会社はどのように、広く世の中の役に立っていますか?
余談ですが、この小冊子の執筆者は、徳川宗家18代目の現当主、徳川恒孝 (つねなり)氏。
世が世であれば、将軍さまです。
恒孝氏は、今年のNHKの大河ドラマの舞台である、福島県の会津若松の松平家から徳川宗家に養子に入られた方で、大河ドラマにも登場予定の、かの松平容保のひ孫にあたる方、そして秩父宮勢津子妃は伯母様にあたられるそうです。
これまた参考までに、松平容保は、尾張徳川家の支流の美濃高須藩の出身で、容保の実兄、徳川義勝は尾張藩主、実弟の松平定敬(さだあき)は桑名藩主でもあり、この3人の兄弟は私の住む、名古屋周辺の地域とは縁の深い方でもあります。