ある社長さん主催の勉強会で学んだことです。
新しいことを始めるときに、ほかの人や、社内のスタッフが賛成することは、やらないことにする。
逆に、反対者が多いことほどやりたくなるんだよ。
みんながやりたがらないし、注目されていないからこそ、チャンスが多くなり、成功の確率が高くなるからね。
この話を聞いて、一人の皇帝(正確にいえばスルタン)の名前を思い出しました。
オスマントルコのメフメト2世です。
彼は、1453年、日本でいうと室町時代に、コンスタンティンノープルと呼ばれていた今のイスタンブールを占領し、1000年余り続いた、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼしたことであまりにも有名です。
メフメト2世が歴史に残るこの事業を成し遂げた時には、わずか22才。
この若きスルタンは、当時の常識では誰も本気で相手にしなかった「3重の城壁を破るほどの威力を持つ大砲を作れる」と言った、ウルバンというハンガリー人の言うことを信じ、重用しました。(ウルバンは、ビザンティン帝国にも売り込みに行きましたが、相手にされなかったそうです。)
メフメト2世はこうして、ウルバンの作った大砲を用い、当時もっとも堅牢な城壁をもつと言われた、コンスタンティノープルを陥落させることに成功したのです。
正確にいえば、大砲は完全には城壁を完全には破壊せず、物理的には決定的なダメージを与えるには至らなかったのですが、その威力が守る側の、ビザンティン帝国に与えた心理的なダメージは相当のものがあったようです。
大砲は当時、その存在は知られていました。その時代の西洋では甲冑をつけた騎士という世襲制の軍事専門職が戦いの中心でした。
大砲を戦闘に本格的に採用したのは、このメフメト2世が最初でした。
この戦い以降、騎士が中心の戦いから、アマチュアでも訓練と技術さえ習得すれば、誰でもなれる歩兵と大砲を扱う、砲兵中心の戦いへと変わっていき、社会構造が大きく変わりました。
また、城壁や城塞の建築の仕方も大砲の攻撃に備えた、下部がどっしりとした分厚い城壁へと変わっていきました。
社会構造や建築の変化以外のコンスタンティノープルの陥落の歴史的な意味は、列挙するにはあまりにも多くありすぎるのでここまでにしますが、当時の誰もが「できない、信じられない」と思われてたいたことに対して、一人の若い君主がそれを常識と思わずに、できる!と果敢に採用したその決断力が、トルコとビザンティン帝国だけではなく、のちのヨーロッパやイスラム世界の歴史までをも変えてしまったのです。
誰もが、考えてもみなかったり、相手にもしないことに、積極的にチャレンジするというリーダーの決断力が、会社の行く末を変えてしまうことは現代にもよくあることだな、と私は社長さんの話を聞きながら、はるか昔の異国の地に思いをはせていました。
あなた決断に、周りの人はどんな反応をしますか?
それに対してあなたは、何を思い、どんな結論を出しますか?
暦のうえでは、「大寒」を迎え、寒さが厳しい今日この頃です。
お体をご自愛のうえ、ますますの活躍を心よりお祈りいたします。