先日、インターネットニュースで「運を引き寄せる人、逃がす人」という記事を読みました。

運のいい人と言われている人の要素のひとつに、

「行動する人」

“運がいいとか悪いとか考える以前に、自分から行動しなければ、収益も物も人もついてきません。運はそのあとからついてくるもの”だと書かれていました。

 

そして、もうひとつ

“運がいい人ほど懸命に努力を重ね、その成果を謙遜して「運がよかった」と言っているわけですから、これを真に受けていては陰にある多大な努力を見逃してしまいます”

というのがありました。

 

 

そのふくよかな容姿からダルマ宰相として有名な、戦前の総理大臣の高橋是清は、小さなころから「自分は運がいい」と信じてきたそうです。

 

3才の頃、藩主の奥方に気に入られて御殿に招かれ、贈り物をもらったことや、4才の時に、大名行列の先頭を走る馬に踏まれたのに、傷一つ負わなかったことから、そう思うようになったそうです。

そう信じていたから、是清は「どんな失敗をしても、窮地になっても自分には、いつかよい運がくるものだと、一心になって努力した。」そうです。

 

若いころの是清の人生は、その容姿もさることながら生き方も文字通り、七転び八起きの「ダルマ」のような人生。

 

子どもの頃、留学だと思ってアメリカに渡ったところ、わずか50ドルで身売りされ、学校に通うどころか、言葉も分からない異国で働かざるを得ませんでした。

その経験を活かし帰国後、英語教師になったとところ、芸者に夢中になり教師をクビになったり、その後、芸者の付き人、通訳、翻訳家、牧畜業、相場師、仲介業、官僚、そして海外事業に失敗したりしました。

けれども、

「どんな時でも仕事は授かる。常にそれに満足して、一生懸命やるから衣食は足りる。これが自分の処世法だ」と語っていたそうです。

 

その後、日本銀行の副総裁となって渡欧し、貧困の中でも、粘り強い折衝と、人脈を活かして難航していた日露戦争の軍費調達を成し遂げ、総理大臣にまでなり、そして日本の経済が疲弊するたびに、7回も大蔵大臣に抜擢され、最後は2.26事件で暗殺されましたが、その人生は、最後まで波乱万丈でした。

 

また、転職ともいえる経済の仕事を紹介され、日本銀行の社長の椅子をすすめられた時にも、何の経験も知識もない自分が社長になるなどとんでもないと、すすめられた社長の椅子を断って、事務所の主任という仕事から始めたのです。

 

どんな職業に就いても、どんな状況に追い込まれても、「自分は運がいい」と信じて、歩みを止めずに、その場その場を、「謙虚に」そして粘り強く「努力し」、「一生懸命に行動した」からこそ、運が開け、結果的に日本の近代史にかけがえのない大きな貢献ができたのでしょう。

 

あなたはご自身の「運」についてどのように考えていますか?

 

 

春は分かれと出会いの季節ですね。

お世話になった方、そして新しい出会いを大切に、新年度もお楽しみくださいませ。

 

2013/04/30
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